チャチャポヤス文化の特徴(埋葬文化1)

チャチャポヤスとは、Sacha(森)Phuyu(霧)という言葉からきているのではないかと言われています。霧に包まれた森に住む人々、それがチャチャポヤスの人々でした。その名の通り、彼らはアンデス雲霧林と呼ばれる湿度が高い森に居住していました。またその名前の由来には、彼らの文化圏が切り立った断崖絶壁を主とする険しい地形で成り立っており、霧に包まれた頂に住んでいたことも挙げられるでしょう。

チャチャポヤ文化は、今から約1500年前に始まり、15世紀半ばのインカ帝国の侵略、その後のスペイン人による支配を受け16世紀頃姿を消したと考えられています。実に1000年ほどの期間、ペルー北東部、アンデス山脈とアマゾン熱帯雨林の境目に花開いた文化です。

太平洋沿岸のチムー文化やアンデス山中のカハマルカ文化など他文化との交流の跡は見えますが、埋葬方法や住居の形が独特で、今では失われてしまったアマゾン熱帯域の文化圏の特徴を今の伝えるものではないかと言われています。

チャチャポヤス文化を特徴づけるものの一つとして、その埋葬法式があります。その他のアンデス文化圏、太平洋沿岸文化圏でもよく見受けられるミイラ化とミイラ包みですが、チャチャポヤスの人々はミイラを地中ではなく断崖絶壁に安置していました。安置の方法としては、集合墓地方式、個別埋葬方式と2つの種類がありますが、どちらも近づくことが不可能な断崖絶壁にあるという点では同じです。有名なカラヒア遺跡、コンドル湖遺跡を見てみましょう。

カラヒア遺跡は個別埋葬方式で、ミイラ一体ごとに一つの棺桶を作成し安置しています。棺桶はアシ科の植物と粘土でできていて、顔料で人のような絵が描かれています。見てお分かりのように、人がよじ登ることも難しい断崖絶壁に安置されています。ちなみに棺桶一つは2メートル半近くあり、それを担いで登る、なんてことはできそうにありません。

コンドル湖遺跡は集合墓地方式です。写真では見えませんが、湖に面した断崖絶壁に石と泥で霊廟を作り、その中に多くのミイラ包みを安置しています。この方式ではほとんどの場合多くのミイラを安置し長い期間使用され、新しいミイラの埋葬、命日や祝祭毎に供え物を持って多くの人々が訪れたのではないかと考えられます。その証拠にコンドル湖遺跡では、チャチャポヤス文化のミイラからインカ文化の影響を受けたと考えられるチャチャポヤス・インカ文化、さらにはスペイン人の持ち込んだヨーロッパ文化の遺品が数多く見つかっています。他民族に征服された後も、チャチャポヤスの人々がこの地を聖地として崇め、祖先を祭っていたことがよく分かります。

こうした断崖絶壁に祖先を埋葬する風習は、一つには他民族の侵略を受けた時に大事な祖先が穢されないようにという配慮でしょう。また、断崖に向かった平地には住居跡があり、おそらくは祖先に村を守ってもらうという願いが込められていたと考えられます。さらに多くの場合断崖は最初に神聖な太陽の光が当たる場所であり、また湖や川などの水源に面していて、光や水の神聖性に祖先を守ってもらうという意味合いもあったのではないかと言われています。

チャチャポヤスの人々にとって、祖先は非常に大切な神様と同等のものとして崇められていたと考えられます。祖先崇拝の傾向がある日本人とも少し共通点がありますね。

ちなみにチャチャポヤスはスペイン語でのチャチャポヤの複数形であり、チャチャポヤス文化は正確にはチャチャポヤ文化となりますが、すでにアマソナス州の州都がチャチャポヤスという名で広く知られており、研究者の間でも使用が様々なこと、レイメバンバ博物館の創立者でありペルー人類学の権威であるソニア・ギジェン教授によると「どちらでもいい」とのことなので、このブログではチャチャポヤスで統一しています。

チャチャポヤスに吹く風は

ペルー北東部「霧の中に住む人々」が築いたチャチャポヤス文化やこの地の今を紹介します。

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