レイメバンバ近郊の遺跡(ボベダ、ディアブロ・ワシ、ペタカ遺跡)
レイメバンバから1日のツアーで行ける遺跡はたくさんありますが、その中でもあまり観光地化されていないにも関わらずチャチャポヤス文化の埋葬方法の独特さが際立つ遺跡がディアブロ・ワシ遺跡及びペタカ遺跡です。そして、これらは霊廟形態をとっている集合墓地ですが、ここに埋葬されている人々が住んでいたと考えられるのがおよそ170の住居が確認されているボベダ遺跡です。
レイメバンバを拠点にしてこれらの遺跡を1日で回ることができますが、途中標高が3500メートルの地点を通過することもあり、高地やトレッキングに慣れていない方は馬をレンタルすることをお勧めします(乗馬が初めての方も大丈夫。ガイドさんがフォローしてくれます)。また、山の天気は変わりやすいので、いくら麓で晴れていても、長靴、雨具(ポンチョ)の用意は必須です。これら以外に、双眼鏡をお持ちの方は持っていくことをお勧めします。
まずはレイメバンバから車で行けるタンビージョという所まで行きます。タンビージョで馬に乗り換え、ポクポクと進んでいきます。最初から結構な登り坂があり、その後湿原、そしてまた登り坂とくるので、歩いていく人は最初からめちゃくちゃハードです。ただ、登り切って最初のボベダ遺跡に着いてしまえばあとは緩やかな高低が続くので馬から降りて歩いても余裕です。
さて、ボベダ遺跡。円形の住居址が数多く残っています。チャチャポヤス文化の住居址は円形、インカ文化は長方形のものが多いのですが、ここには長方形住居の土台に円形住居が乗っている(増築されている?)住居址が残っています。チャチャポヤス文化がインカ文化に征服されたことを考えると不思議です。征服者に対する反抗だったのか、被征服者をなだめるために征服者側が譲歩したのかは分かりません。チャチャポヤス文化ではリャマを使うことはなかったのですが、この遺跡ではリャマを生贄にした儀式の跡が発見されており、インカ文化が征服者としてこの地に浸透しようとしていた形跡が見られます。
ボベダ遺跡の周辺には、大規模な段々畑の跡が見受けられます。これらの農業規模から、おそらくかつては数万の人口を抱える大集落が広がっていたと考えられます。また農業試験場として使われていたと考えられる円錐形の穴も見つかっています。ここでは標高によって異なる農作物の実験的な栽培がおこなわれていたと考えられます。
ボベダ遺跡から歩いて30分ほどで、断崖絶壁に作られた集合墓地、ディアブロ・ワシ遺跡に到着します。
地上から200メートルほどの高さまで、様々な霊廟が作られているのが分かります。中にはまだミイラ本体がむき出しの状態で残っているものもあります。どうやってそこまで登り、どうやって霊廟を築いたのか分からないようなアクセス不可能な断崖絶壁です。これらの霊廟に納められているミイラは集落のエリート層、戦士などだと考えられ、一般の人々は遺跡の下方の洞窟に骨だけ埋葬されているようです。霊廟には様々な形があり、住居址にも使われるジグザグやT字型、点々のような細工が見受けられます。また赤や黄色で塗られたり、呪術的な絵が描かれていたりします。集合墓地は多くのミイラを埋葬し、何世代にも渡って使われたもので、おそらくは同じ家族関係の人々が利用し、その家族を代表するイメージが使われたのであろうと考えられます。
最後はペタカ遺跡。ディアブロ・ワシ遺跡と同様断崖絶壁に作られた集合墓地です。
こちらの遺跡には、先ほど述べた呪術的な壁画がよりはっきり残っています。まるで親子のように見えるこちらの絵は、崖の中腹部分に巨大に描かれている「2人の戦士が敵方の首を刈って掲げている図」です。チャチャポヤス文化はひとくくりに語られることが多いですが、実は様々な部族・家族が争い、戦闘が絶えなかった民族でした。このような敵の首級を取る様子は各地で壁画やヒョウタンでできた器に見受けられます。
戦士の頭がツンツンと立っている様子は羽根飾りを表していると考えられます。アマゾン密林に近いこの辺りでは鳥の羽根が重要な交易品で、インカ帝国がチャチャポヤス文化を征服したかったのもこれらを手に入れたかったことが一つの要因でした。
3つの遺跡自体も非常に興味深いのですが、途中で見つけることができる高山植物の数々や、コンドルをはじめとする鳥たちとの出会いも楽しいです。馬でのトレッキング、道が悪くて狭い、雨が降る、等々の悪条件を乗り越えても行く価値が十分あります。レイメバンバにお越しの際は、是非もう1日残って足を延ばしてみることをお勧めします!!
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